雑学のススメ No.2(02・9/10)

「福岡」だけがなぜ「博多」
〜 博多っ子のこだわり 〜
 わが国には47の都道府県があります。大阪府は大阪市・千葉県は千葉市のように、都道府県名と県庁所在地名が一致するところは29ヶ所(63%)です。

 それでは県庁所在地にあるJRの駅名はどうでしょう。46都道府県(除く沖縄)県庁所在地のJRの駅名の中で、その県を代表する「市」の名前と一致しない所は2ヶ所しかありません。2001年5月1日、埼玉県の浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し手、新しくさいたま市が誕生したため、2ヶ所になってしまいましたが、永い間たった1ヶ所駅の名前に拘ってきた所があります。
 それは福岡県の県庁所在地福岡市です。福岡市は人口129万人を有する九州最大の都市ですが、その表玄関の鉄道駅はなぜか博多なのです。 

福岡市は1889年(明治22年)4月市制が施行されたとき、旧城下町の福岡町と商業の町の博多町が合併して誕生しました。合併後の名前は現在のように公募による市民の総意で決められたものではありませんでした。その当時の福岡県知事が独断で、福岡市と告示してしまったのです。
一方的な決定に福岡市博多市かの対立は一気に激化し、おさまらない博多派をなだめるために、知事が鉄道の駅を博多にと仲裁案を出したのが、駅名の起こりになりました。両派の争いは別にその年の暮れ、九州での最初の列車は無事久留米まで走り出しました。
 しかしながら、こうして収まったはずの市の名前は、福岡市となったものの博多の地名の人気は根強く、翌1890年(明治23年)博多市への改名案が浮上し、再び福岡にするか博多にするかで紛糾しています。双方一歩も譲らず、議決の採決に持ち込まれました。
 結果は13票対13票で同数だったため議長採決になり、福岡市に軍配が上がったのです。それというのも議長が旧城下町の福岡町の出身だったというから、博多側にとって不運だったのです。

 何故博多っ子はここまでこだわるのでしょう。
それは今から400年前の1601年(慶長6年)に遡ります。

 関ヶ原の合戦の功によって豊前中津18万石から、筑前52万石の領主になった黒田長政が、7年をかけて博多西方の福崎の丘陵に舞鶴城を築きました。城下には武家屋敷や町屋を形成し、黒田家先祖の居住地であった備前国邑久(おく)郡福岡村(現岡山県邑久郡長船町大字福岡・・・NTN岡山製作所の近隣で、名刀備前長船の生産地)にちなんで、福岡と名付けられました。
 従って、福岡博多かの論争は、奈良時代の続日本記に記述がある1200年以上前からある博多の地名と、400年前の江戸時代からの福岡の地名との対決ということになります。

 さらに、城下町に付けられた福岡という地名は、
@ 「よそ」から引っ越してきたもの。
A 名も知られていない「小さな」地域。
B お上(藩主・知事・議長)に対する反発。
などから、今なお福岡より博多のほうに、愛着をもっている市民が多いのかもしれません。