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それでは県庁所在地にあるJRの駅名はどうでしょう。46都道府県(除く沖縄)県庁所在地のJRの駅名の中で、その県を代表する「市」の名前と一致しない所は2ヶ所しかありません。2001年5月1日、埼玉県の浦和市・大宮市・与野市の3市が合併し手、新しくさいたま市が誕生したため、2ヶ所になってしまいましたが、永い間たった1ヶ所駅の名前に拘ってきた所があります。 それは福岡県の県庁所在地福岡市です。福岡市は人口129万人を有する九州最大の都市ですが、その表玄関の鉄道駅はなぜか博多なのです。
しかしながら、こうして収まったはずの市の名前は、福岡市となったものの博多の地名の人気は根強く、翌1890年(明治23年)博多市への改名案が浮上し、再び福岡にするか博多にするかで紛糾しています。双方一歩も譲らず、議決の採決に持ち込まれました。 結果は13票対13票で同数だったため議長採決になり、福岡市に軍配が上がったのです。それというのも議長が旧城下町の福岡町の出身だったというから、博多側にとって不運だったのです。 何故博多っ子はここまでこだわるのでしょう。 それは今から400年前の1601年(慶長6年)に遡ります。 関ヶ原の合戦の功によって豊前中津18万石から、筑前52万石の領主になった黒田長政が、7年をかけて博多西方の福崎の丘陵に舞鶴城を築きました。城下には武家屋敷や町屋を形成し、黒田家先祖の居住地であった備前国邑久(おく)郡福岡村(現岡山県邑久郡長船町大字福岡・・・NTN岡山製作所の近隣で、名刀備前長船の生産地)にちなんで、福岡と名付けられました。 従って、福岡か博多かの論争は、奈良時代の続日本記に記述がある1200年以上前からある博多の地名と、400年前の江戸時代からの福岡の地名との対決ということになります。 さらに、城下町に付けられた福岡という地名は、 @ 「よそ」から引っ越してきたもの。 A 名も知られていない「小さな」地域。 B お上(藩主・知事・議長)に対する反発。 などから、今なお福岡より博多のほうに、愛着をもっている市民が多いのかもしれません。
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