雑学のススメ No.4(03・1/2)

「銀座役所」がなくなっても「銀座」
〜銀座はここから生まれた〜
 「銀座」は世界的にも知られた大繁華街です。
 「銀座」が東京の中心として発展すると、全国各地の都市がその繁栄にあやかって銀座の地名を使うようになり、銀座と名の付く所は全国に450ヶ所もあるということです。
 その天下に名だたる「銀座」も400年前は海の中で、慶長8年(1603)徳川家康が諸大名に工事を命じて造らせた、江戸湾入江の埋立地なのです。
 そもそも「銀座」は銀貨鋳造所が置かれていたことから発生した地名で、東京の「銀座」にはかって幕府の銀貨鋳造所、いわゆる銀座役所がありました。

 慶長17年(1612)江戸の地に、銀座役所(現在の銀座2丁目・ティファニー本社の前)が設置されました。
 町の名は金座があった「本両替町」(現在の日本橋)に対し、「新両替町」としました。
寛政12年(1800)銀座役所の年寄による不正事件が起こり。
銀座役所は日本橋下記蛎殻町(現在の人形町1丁目)に移されましたが、
土地の人々は通称「銀座」の名はそのまま継承してきました。

 明治2年(1869)明治新政府は、「新両替町」を正式に「銀座」という町名に変更しましたが、中央通りを中心にした1〜4丁目まででした。日本橋や京橋の方が賑やかで、商業の町というより銀貨鋳造工場で代表される職人の町の要素が強い地域でした。

 明治5年(1872)2月26日、和田倉門内祝田町から出火。銀座・木挽町・築地など34町を焼失する大火事が発生。明治新政府は「東京」を新政府の首都に相応しい「防火都市」に生まれ変わらせる計画をたてました。
 明治6年(1873)8月、新橋から日本橋まで日本初のレンガによる町並みが出現しました。建設当初は種々不評であったレンガ街も、明治20年頃になると空き家もなくなり、西洋風建築とそこで扱われる舶来商品に欧風文化を味わえる町として、賑わいを見せるようになりました。
 大正3年(1914)東京駅が開業したことにより、江戸時代から続いた東京の繁華街の中心は、「日本橋」から「銀座」へ移って行くことになるのです。
 このようにして誕生した東京の「銀座」は、全国にある「銀座商店街」の教祖的存在になりましたが、実は「銀座」という地名は東京が本家ではないのです。

 わが国で初めての「銀座」は、現在の「東京」ではなく「京都」に誕生しました。

 慶長6年(1601)山城の国(京都府)の「伏見」に、品位の一定した銀貨を造る目的で設けられた銀貨鋳造所が「銀座」の発祥なのです。
 現在も京都と大阪を結ぶ京阪電鉄の「丹波橋駅」で下車し、「伏見桃山駅」に向かったところに「銀座」という地名が残っています。
 東京の「銀座」とは対照的に、もの静かな普通の町なみです。
 「銀座」という名前は世界に通ずる洒落た地名なのに、この京都伏見では「銀座支店」ではなく「伏見支店」の方を採用しています。「銀座」とは全く関係がないのに「銀座」という名を付ける所が多い中、伏見の「銀座」では「銀座」とうい看板を見つけるのも苦労するほどです。
いまさら本家争いをしなくても、「ここがわが国の銀座発祥の地です。」と密かに主張しているようです。

 慶長11年(1606)には駿府(静岡県)にも「銀座」が置かれ、慶長13年には伏見の「銀座」が京都御所の近くに移されました。

 慶長17年(1612)には駿府の「銀座」が江戸に移されました。それが現在の「銀座」なのです。