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角田(すみだ)川の堤におりいて、思い侍るに……………、名にしおば、いざ言問わん 都鳥、我が思ふひとはありやなしやと。」とあります。(言問橋の名の由来) この様に「隅田川」は古くから世に知れ、江戸の繁栄とともに経済・文化に大きく寄与し、春は「墨堤の櫻」・夏は「両国の花火」・冬は「雪景色」など、四季を通じて広く江戸庶民に親しまれてきました。
昭和22年(1947年)3月15日、北部区域の「向島区」と南部区域の「本所区」が合併して、新しい「区」が誕生することになりました。「墨田区」の誕生です。 新しい区の名称を決めるにあたって、これほど有名な「隅田川」や「隅田村」・「隅田町」の「隅田」を何故採用しなかったのでしょうか。 墨田区役所の「ホームページ」にアクセスしてみました。 平安の昔から広く人々に親しまれてきた隅田川堤の異称「墨堤」の「墨」と、「隅田川」の「田」から2字を選んだとあります。 「墨田区」の「墨田」は南北朝時代から伝わってきた「墨田」ではなく、新しく昭和22年に初めて作られた合成語の「墨田」なのです。 なぜこの様なややこしいことになったのでしょう。 なんと「隅田」の「隅」という字が、昭和21年11月に定められた「当用漢字」1850字に含まれていなかったのです。 向島区と本所区に共通するのは「隅田川」です。区の名前を考えていた方は、びっくりしたでしょうね。誰でも知っている「隅田川」の「隅」の字が、戦後の日本を新しく改革しようとしている政府から、「使うことは好ましくない字」とされたのです。(当用漢字から発展した常用漢字には入っています。)そこで様々あった「すみだ」の当て字の中でも、言葉の響きのよい「墨」の字を採用することになったということです。 「隅田川」について調べているともうひとつ貴重な記事を発見しました。「隅田川」は東京を流れる川なのですが、全国的に重要な役割を担っていることはあまり知られていません。 JRの駅・名所旧跡・校庭・山頂などで、「ここは標高(海抜)XXXメートル」という標識をよく目します。標高とは海からの高さですが、一口に海といっても高さは一定ではありません。干潮・満潮 大潮・小潮 四季 場所によってたえず変動しています。どうやって標高0メートルを決めるのでしょう。 日本の土地の高さ(標高)は、東京湾の平均海面を基準(標高0m)として測られています。1891年(明治24年)「日本水準原点」(国会議事堂前の洋風庭園内)が創設され、「隅田川」河口の「霊岸島」で行われてきた潮位観測による平均海面から、高さを24.500メートルと決定しました。 その後、関東大震災による地殻変動で24.414mに改訂され、現在もこの値が使用されています。(東京が0.086m地盤沈下したことになります。)
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