雑学のススメ No.12(04・8/9)

【梅田】vs【大阪】
〜JRにもある梅田駅〜
 大阪を訪れた方が待ち合わせの場所について話をしています。「梅田の新阪急ホテルのロビーで7時に。」あまり大阪を知らない人は「梅田」と聞いて面食らいます。
 神戸・大阪・阪神間に住んでいる人は、当然のようにJR大阪駅周辺を「大阪」といわずに「梅田」といいます。
 地図に表示されている梅田1丁目・2丁目・3丁目といった特定の場所を指して使っているのではありません。「梅田」はJR大阪駅を中心としたかなり広範囲な繁華街の総称なのです。
 「梅田」という地名の由来には様々な説がありますが、有力なものが2つあります。
 西に流れる淀川の湿地帯であった土地を埋めて開拓したことから、「埋田=梅田」という説。もうひとつは地主の名前「梅田宗庵」であったという説。どちらの説をとっても現在の梅田周辺は荒れた田畑だったということになります。
 梅田周辺の大発展の第1歩は1874年(明治7年)5月、神戸と大阪を結ぶ鉄道の開通でした。当時駅舎は建設の候補地に挙がっていたのは船運の利便性もたかく商業の中心地である「堂島」でした。しかし鉄道の敷設に懐疑的であった住民の反対にあったことで、当時の大阪市ではなく町外れの田んぼの中の曽根崎村に現在の大阪駅が誕生いたしました。
 次に投じられた石は私鉄の開通です。
・1905年(明治38年4月) 阪神電鉄が出入橋(西梅田)―雲井通(三宮)を結ぶ日本初の本格的な都市間電気鉄道が開通しました。
・1910年(明治43年3月) 梅田―宝塚を結ぶ箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)のターミナルとして「梅田駅」が開業しました。
・1933年(昭和8年5月) 大阪市の都市計画1号線(現御堂筋線)の梅田―心斎橋間が開通。大阪市交通局(地下鉄)の「梅田駅」が開業しました。
 決定打は1929年(昭和4年)多彩な事業展開で知られる阪急グループの創始者小林一三氏のアイディアで、世界に類を見ないターミナル駅のデパート「阪急百貨店」がオープンしたことです。
 戦後からに日本国有鉄道が民営化されるまで、神戸―大阪間の鉄道競争は「私鉄」に軍配が上がります。「待たずにのれる阪神電車」・「神戸・大阪を29分で結ぶ阪急電車」のキャッチフレーズを掲げ、たった30kmしかない神戸・大阪間に平行して3本の鉄道があるという激戦区を勝ち抜いたのは「私鉄」でした。その始発・終着駅が「梅田」なのですから、神戸や阪神間から大阪へ出かける人は「大阪」ではなく「梅田」へ行くことになります。
 日本国有鉄道の時代から何度も私鉄に戦いを仕掛けましたが、目に見えた成果を上げることが出来ませんでしたが転機が訪れることになります。JRへの民営化です。
 利用者へのサービスを見直し、スピードアップ(新快速で21分)・列車本数の増加・
駅の新設などにより、私鉄の利用者はJRにどんどん奪われている状態が続いています。私鉄の優位の象徴ともいえる「梅田駅」はこれからどうなるのでしょう。

 JRと私鉄の争いを静かに見守ってきた駅があります。JRの「梅田駅」です。時刻表のどこを探してもそんな駅は見つかりませんが、1928年(昭和3年)貨物駅として開設されています。
 現在は日本国有鉄道が民営化され6社に分割された時、JR貨物の専用駅になりました。
 JR「大阪駅」の北西に隣接する広大なコンテナーヤードで再開発の焦点になっているところです。
ひょっとするとこの伝統ある駅の名前がなくなることになるかもしれません。
 貨物専用駅といえば、機関車の動態展示で有名な京都の「梅小路駅」があります。天王寺の「百済駅」・東京の「隅田川駅」・仙台の「宮城野駅」など、何時までも残してほしい駅名があることを付け加えておきます。