雑学のススメ No.14(04.12/05.1)

「飛鳥と明日香どちらがほんと」
〜湯布院と由布院・久住と九重・千束と洗足〜
 「飛鳥」と書いて「アスカ」と読みます。歴史で習った「飛鳥時代」(6世紀の終わりから約100年間)・日本の豪華客船「飛鳥」・ポップス歌手の「チャゲ&飛鳥」など、幅広い分野で使われており、何の疑問も持たずに「アスカ」と読むことが出来ます。
 「飛鳥」は法隆寺を建立した聖徳太子、大化改新の中心となった中大兄皇子と中臣(藤原)鎌足、高松塚古墳やキトラ古墳の壁画、石舞台・亀石・酒船石など、文化遺産が集中している古代ロマンの舞台なのです。
古墳時代から脱皮し大和国家が貴族の連合政権から、天皇制律令国家が形成された場所だけに、広大な飛鳥地方を思い浮かべます。
 現在の奈良県の地図を調べてみると、橿原市の南・桜井市の南西に「飛鳥」がありました。「市」でも「郡」でも「村」でもありません。「明日香村」の中に「飛鳥」(奈良県高市郡明日香村飛鳥)がありました。「飛鳥」は「飛鳥村」であったことがありましたが、昭和31年(1956年)高市村と阪合村の3つの村が合併して「明日香村」が生まれ、その一部になりました。
 「明日香」は女の子の名前にも多くつけられており、現代的で新しく造られた地名のようですが、「飛鳥」と同様万葉の昔からあったようです。柿本人麻呂の歌に「飛ぶ鳥の明日香の河の上つ瀬に・」とあります。いつからか「明日香」の枕詞「飛鳥」を「アスカ」と呼ぶようになったと言うことです。
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 「アスカ」の語源について調べてみました。  〜明日香村ホームページより〜
@「飛鳥」に都が造られる前から「アスカ」という地名だったとすると、
  ◇地形説 ア(接頭語)+スカ(砂地)、或いはアス(浅瀬)(崩地)+カ(処)
という説が自然です。
A都に選ばれるまでに発達した場所だったとすると、
  ◇外来説1 渡来人が日本にきて安住の宿とした場所を安住(アスカ)と名付けた。
安住は朝鮮語でアンスク、これが訛ってアスカになったという説。
  ◇外来説2 古代朝鮮語で村を意味するスカに、接頭語のアが付いてできたという説。
B新しい都に付けられた地名だとすると、
  ◇鳥 説 古代においては、年号などに白雉・朱鳥・白鳳が用いられるように、鳥
はしばしば瑞兆として尊ばれた。アスカの音はイスカという鳥の名から
転じたとする説。
  ◇聖地説 スカという語がイスケ・イスズ・ミソギなどと同様、禊ぎをするなどの
神聖な意味を持ち、都すなわち神聖地の名に採用されたという説。
さらに、遙かシルクロードの向こうから、
  ◇外来説3 仏教発祥地インドの「アショカ王」の名前から転化したという説。
インドではアスカとは理想の楽園という意味の言葉だとも言われている。
など、韓国や中国との交流が盛んに行われていたこともあって、諸説が入り乱れています。「飛鳥」は今もなお謎の多い神秘的な所なのです。

 飛鳥と明日香のように同じ地域にあって、同じ音読みで紛らわしい地名が他にもあります。
 【湯布院】と【由布院】(ゆふいん)  大分県大分郡
 「湯布院町」は昭和30年(1955)「湯平村」と「由布院町」が合併した時に合成名として生まれました。「由布院」は「湯布院」の一部ということになります。
 平成の大合併により隣接する「庄内町」・「挟間町」と合併して、新しく「由布市」を誕生させようとする動きがありますが、折角全国的に有名になった「湯布院」(温泉地としてピッタリのネーミング)がなくなるのはチョッピリ残念な気が致します。
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 【久住】と【九重】(くじゅう)  大分県直入郡 大分県玖珠郡
 肥後藩領に久住山猪鹿狼寺・竹田岡藩領に九重山白水寺がありいずれも「くじゅうさん」(寺院の山号)と呼ばれていました。永年に亘る議論の後、山群の総称を九重山群、主峰を久住山(1786.8m)と呼ぶことになりました。昭和25年阿蘇国立公園に「九重」
を加えることになり、「阿蘇くじゅう国立公園」という名称が採用されたため、「久住」と「九重」と「くじゅう」が入り乱れることになりました。

 【千束】と【洗足】(せんぞく)  東京都大田区 東京都目黒区
 この地域に灌漑用の大池があった為、稲千束が租税から免除されており「千束」とよばれていましたが、日蓮上人が池上(本門寺)に向かう途中この大池で休み、足を洗ったという伝説から「洗足池」と呼ばれるようになりました。「洗足」は「千束」から分離した部分ということになります。