雑学のススメ No.15(05.2/3)

「東京都大田区の大には「、」がない」
〜大田区誕生秘話〜
 東京23区の一つに「大田区」があります。
 面積は東京23区中のNO.1(59.46平方キロメートル)。東京の空の玄関口「羽田空港」や高級住宅地「田園調布」に代表される、人口670,839人(平成17年3月1日現在・23区中NO.3)の大行政区です。

 お正月の朝年賀状が配達されます。「大田区」に住むご家庭に届いた年賀状をよく調べてみると、必ず1枚か2枚「大田区」ではなく
「太田区」と「、」が入った住所になっています。「おおた」と聞くと群馬県の「太田市」や茨城県の「常陸太田市」が良く知られていたり、人の名前の「おおたさん」も殆どが「太田さん」なので、つい「太田区」と書いてしまうのです。

それでは何故東京都「大田区」の大には「、」がないのでしょうか。58年前に遡ります。戦後間もない昭和22年(1947)3月15日、それまでの東京都35区から22区(現在は練馬区が板橋区から分離独立したため23区)に整理統合されることが決定されました。

 統合の目的は「区」単独で「独立行政区」として自立することができるようにする事でした。東京都の南西部に位置する「大森区」と「蒲田区」は、単独で自立する財源を確保出来ないと判断され、合併されることになりました。
 当然新しい「区」の名称をどうするか、大議論が巻き起こりました。
 合併前の昭和21年(1946)の大森区の人口は186,605人、蒲田区はその1/3の65,286人であったことや当時文化人が多く住んでいた「大森区」側の政治力が勝り、ほぼ「大森区」に決まっていたようですが、「大森区」の議員の不用意な発言に「蒲田区」側がへそを曲げてしまい振り出しに戻ってしまいました。最終的に双方の顔をたて、「大森区」の「大」と、「蒲田区」の「田」を両区から一字づつ取って、「大田区」と公称することになりました。どちらか一方に「吸収合併」されるのではなく、「対等合併」の形を取ったのです。

 このように「大田区」は「品川区」・「練馬区」・「足立区」のように、その地域を代表する地名から生まれたのではありません。58年前に造られた新しい「合成地名」なのです。従って、大田区にあるのは「大森第××中学校」だけで、「大田××中学校」はどこを探しても見つかりません。
 発足当時、他の22区に比べて自立力が危ぶまれていたにも拘わらず、

(池上梅園)
現在では東京都にある工場の10%以上が「大田区」にあり、工業を中心に大きく(大の字に相応しく)発展することになるとは、誰も予想もつかなかったのでしょう。

 東京には「大田区」以外にも、2つの名称を合成することによって生まれた「市」があります。
 昭和元年(1926)、当時日本国有鉄道「中央線」の「国分寺駅」と「立川駅」の間に新しい駅が生まれることになりました。その駅は「国分寺」と「立川」から一字づつ取って、「この地から新しい国が立つ」という願いを込めて、「国立」(くにたち)と名付けられました。
 その後、この駅があった谷保村が昭和26年(1951)4月1日、村から町になった時「国立」の名称を町名にし、さらに昭和42年1月1日「国立町」が「国立市」になったのです。JRの駅名が「町」の名称になり、「市」の名称に発展した珍しい例です。