雑学のススメ No.17(05.6/7)

「53年もかかった山手線環状運転」
〜遠かった「東京」と「上野」の間〜
  東京の都心の周囲をぐるぐる回っている「山手線」。乗り遅れても次から次へやってくる電車。朝は4時26分「池袋」発(時計回りの外回り)に始まり、夜は午前1時19分「品川」着(反時計回りの内回り)に終わる日本一の働きものです。
 東京駅外回りホーム(品川方面行き)の「山手線標準時刻」で数えてみました。一番電車がやって来るのは朝4時50分です。夜の12時を過ぎて最終電車の午前1時3分まで、何と323本の電車が発着しているのです。朝8時台のラッシュアワーには、1時間に24本。2分30秒毎に電車が停車し発車する超過密ダイヤです。
  全長:34.5km   所要時間:約1時間   駅の数:29 

 毎日毎日、正確に同じところを繰り返し回っている「山手線」ですが、最初から環状運転をしていた訳ではありません。

1) 文明開化の幕開け
  1872年(明治5)新橋――品川
            (4.9km 14%)

 「汽笛一声新橋を、早我が汽車は離れたり」で知られる、わが国鉄道史の幕開けです。新橋発午前10時、日本最初の鉄道が開業した瞬間でした。
 鉄道の線路は今の山手線よりずっと東よりの海岸や海の中に造られた埋立地を走っていました。何時の時代にもある鉄道用地買収の反対運動にあって、半分は高輪海岸に沿った海上を埋め立てて敷設したものです。
2)絹の時代(シルクロードの形成)  11年後   13年後
  1883年(明治16年) 上野 ―― 田端    (3.5km  10%)
  1885年(明治18年) 品川 ―― 池袋    (15.4km 44%)
 新橋から民営の日本鉄道株式会社の「品川線」が開業しました。外貨獲得物資である生糸を輸出港である「横浜」へ輸送するために、赤羽から熊谷・高崎まで伸びていた日本鉄道株式会社(現在の高崎線)と、新橋から横浜へ走っていた官鉄線とを結ぶ為に敷かれた貨物専用に近い路線でした。今では想像することもできませんが、開業当時は乗客ゼロの日もあったとのことです。
3)山手線の誕生へ            31年後
  1903年(明治36年) 池袋 ―― 田端 (5.2km  15%)
 常磐線に直結する「豊島線」が開通し、「品川線」と「豊島線」が「山手線」と呼ばれるようになりました。
4)東京駅の開業              42年後
  1914年(大正3年)  新橋 ―― 東京 (1.9km  6% )
 東京駅の開業は、「鉄道の起点」が開業当時から続いてきた「新橋」から、現在の「東京」へ大きく変化した出来事でした。1909年に開業した「烏森」はこの時「新橋」に、「新橋」は貨物専用の「汐留」になり現在に至っています。

5)「の」の字運転           47年後
  1919年(大正8年)  東京 ―― 神田
                (1.3km  4% )
 この時期大変珍しい変則運転が始まりました。「のの字形の半環状運転」です。中央線の中野から新宿・御茶ノ水・東京・品川・渋谷を通り、もう一度新宿・池袋・田端・上野まで走っていたのです。
6)環状線の完成           53年後
  1925年(大正15年) 神田 ―― 上野
                (2.3km  7% )
 日本の鉄道網がどんどん発達していたにも拘わらず、「山手線」が環状に繋がるのに53年もかかり、そして最後に繋がったのがたった2.3kmの神田と上野の間だったのです。
 北の玄関という根強い郷愁に何時までも拘った「上野」、全てを飲み込んでしまう「東京」に対する葛藤があったのだと思います。