雑学のススメ No.19(05.10/11)

「浅草海苔」の原産地はどこ?
〜「浅草海苔」VS「アサクサノリ」〜
 「浅草海苔」といえば横19cm×縦21cmの正方形に近い、褐色濃く光沢のある四角い乾海苔(ほしのり)を思い浮かべます。
 海苔を食べる習慣は古く飛鳥・奈良時代に遡ります。わが国に仏教が伝わり殺生が戒められた為、栄養豊富な海藻は貴重な食材として尊ばれるようになりました。
 平安時代は延喜式の式場で支給された貴族の階級別食事でも、海苔(紫菜の名称)は最貴重品として扱われています。
 1590年(天正18年)徳川家康が江戸に幕府を開き、品川の漁民に日々ご膳魚を献上することを命じたため、漁民は悪天候や不漁に備え、いつも新鮮な魚を差し出せるよう、海岸に葦の雑木(ひび)で生簀(いけす)を造っていました。この「ひび」に大量の「のり」がつくことを漁民が発見し、今日の養殖の原点とも言うべき大量生産が始まったのです。貴族階級の口にしか入らなかったものが、江戸に幕府が開かれたことが転機になり、ようやく庶民の口に入るようになりました。
 この海苔は主に浅草の海苔問屋に買い取られ、御用海苔として幕府に納められ、諸国に売り出されました。浅草の特権商人が品川や大森の漁民に海苔製造の下請けをさせ、これを浅草海苔と称し全国に広げたため、「浅草海苔」は海苔の代名詞になったのです。
 海苔の養殖技術長く秘法とされ、幕末まで他所に伝えられることがありませんでした。
 海で養殖されたのりを摘み取り、
@ 摘んだのりをよく洗い
A 細かく砕きペースト状に
B のり漉き型に掬い取り
C 天日に干して乾燥させ
D のりをはぎ取ると海藻シートが完成します。
こうしたのりの製造方法は「紙漉き」と全く同じことに気づかれるでしょう。
1718年(享保2年)頃浅草川で抄いた浅草紙の製法をまねて、浅草紙の型にのりをいれて海苔を四角く・薄く加工する製法が考案されたこともあって、「浅草海苔」という商品名が乾海苔に相応しいものとなりました。さらに、徳川家康の祈願所であった浅草寺の加護や、門前市で賑わう観音様の境内で海苔が売られて好評を博したため、「浅草海苔」は江戸の名物として栄えました。
 好感をもって受け止められる地名をつけたお土産は、ブランドイメージが高くご当地商品として広く愛されています。江戸時代から現在まで「浅草」という地名は商品を販売する為にはインパクトあり、海苔の独占の商品名になったのでしょう。
 一方、「浅草」の名が上がれば上がるほど、海苔の生産地である「品川」や「大森」が歯がゆい思いをしていたに違いありません。 
 この「浅草」に一矢報いようとしたのが、原材料の生産地「品川」です。
東海道53次の第一番目の宿場で、上方へ上る人・江戸に入る人でにぎわっており、1659年(万治2年)に刊行された「東海度名所記」には、「品川海苔として名物なり」とあります。
 明治28年創業の「せんべい処 あきおか」(京浜急行 北品川下車 旧東海道沿い)が初めてあられやせんべいにのりを巻いたものを発売いたしました。
 今も「品川巻」はあられやせんべいにのりを巻いたもの代名詞として名残を留めています。
 ちなみに海苔の製造者のひとつに「大森屋」がありますが、本社は大森海岸とは無関係の大阪市福島区です。
海苔のゆかりの地「浅草」や「品川」や「大森」にあやかってつけたのでしょうか、会社名を変更して全国的になり業績は好調のようです。
 さて「浅草海苔」の原材料は何でしょう。「浅草海苔」ですから勿論「アサクサノリ」で
した。しかしながら、植物名としての「アサクサノリ」は明治35年「浅草海苔」の材料に名づけられた海藻の名前で、「アサクサノリ」で作られたのりだから「浅草海苔」というのではありません。「アサクサノリ」は「浅草海苔」よりもずっと新しいのです。
 「アサクサノリ」は広く北海道西南部・太平洋沿岸・瀬戸内海・九州などで養殖されて
いましたが、今では黒くて艶がある【ナラワスサビ】になり、【アサクサノリ】は絶滅危惧種になってしまいました。
 江戸時代から平成まで世の中は猛スピードで変化し、「浅草海苔」は浅草でとれたものでも、浅草で製造されたものでも、「アサクサノリ」から作られたものでもなくなってしまいましたが、21世紀の今日年間100億枚が生産される「海苔」は、日本人にとってなくてはならない食材のひとつです。自然環境や流通経済が大きく変化しても、「浅草」と「海苔」との関係は、切っても切れない縁があり、「浅草」・「品川」・「大森」の名が何時までも残っています。